痛くない・噛める入れ歯 その⑪ 入れ歯への思い
僕は、医学部を目指し二浪をしましたが結局歯学部に入りました。
業界のルールも知らない、歯医者ってどんな仕事?
「入れ歯を作る、虫歯を治す。」
そんなイメージしかない状態で入学式を迎えました。
やる気の出なかった僕は、なんとなく2年間を過ごしていました。
3年生の時に基礎系の専門科目が始まり、生理学や生化学、解剖学など医学に興味のあった僕には、学校の勉強が楽しくなりしっかり学ぶようになっていました。
しかし、歯医者になる実感はありません。
4年生になり、総義歯=全部入れ歯の授業が始まった頃、「歯医者予備校化」の風を感じるようになり国家試験もあるのでモチベーションを上げないといけない雰囲気を感じてはいました。
そんな頃、忘れもしない祖母が「入れ歯が痛い痛い」という話をしだしました。
僕が学校で入れ歯の授業を聞いた話がきっかけで、型をとってフルオーダーで作るのになんで痛いんだろう?と疑問に思い、入れ歯科の先生に質問をしました。
「入れ歯は難しいんだよ。」と曖昧な答え。
ある先生が「国分寺に仕事で来ているから診てあげるよ」とおっしゃったので祖母を連れていきました。
90才位でした。もうあんまり外出しない祖母を父親が連れて行ってくれました。
下顎の入れ歯の辺縁にプラスチックを貼って終わり。
今なら何をやりたかったのか理解できますが、当時は分からず、「痛みが増した」と二度とそこの歯科医院には行かないと言っていたことを覚えています。
そこで、僕が祖母の入れ歯をつけたされたプラスチックをホームセンターのドリルで削り取り、実習で使った材料を使ってあちこち削ったことを思い出します。
結局、少し痛みが取れて「孝義の入れ歯が1番噛める。」と言われた事が最後の祖母との思い出です。
そのあと一人暮らしをしていたので、あまり会えずに突然亡くなりました。
型とって入れ歯を作るのになんで痛いんだろう。
それがきっかけで、「痛くない入れ歯が作れる歯科医師になりたい。」
その頃、祖父から「歯医者は腕だからな!」と言われた事を思い出します。
僕にとって、歯医者になりたいと思ったのは大学4年生の話でした。^_^
1998年出版の入れ歯の作り方の本です。
卒業した翌年発売されていました。もう売っていません。
僕が大切にしている本です。
この本が僕の入れ歯作りの原点で、何回も読み返しました。
この本は、総入れ歯と部分入れ歯の2種類でていますが、特に総入れ歯の方が穴のあくまで読んだと言っても良いくらい繰り返し読んだものです。
懐かしいです。23年前の話です。
この著者である、村岡秀明先生のオフィスで学んだ日もありました。
大好きな秀明先生から、入れ歯についての多くを学びました。
「全ては、患者さんが教えてくれる。」それが、秀明先生の口癖です。
総入れ歯の作り方は、その間ほとんど変化、進化していません。
・白いプラスチックとピンクのプラスチックからできるもの。
・粘膜という型の取りにくいものを対象にするもの。
・高齢者は、経年的な変化で噛み合わせが不安定になっている。
問題は、この3点に尽きるのです。
この3点をどう解決するのか、それが歯科医師の腕ということになります。
昔は、「名人芸」と言われて、大道芸や匠、職人のように表現されていました。
しかし、「医療人として科学的に再現性の高い入れ歯が作れたらどんなに良いだろうか。」とこの「技」とい本がきっかけで、考えるようになりました。
本の題名が「技」というくらいですから、やはり当時は、職人芸と言わざるえなかったと振り返ってみると思います。
11年前にCAMCAM=歯科のコンピューター化だと信じて、CERECを購入しました。
小さなむし歯の治療用途から始まり、ブリッジ、インプラント、矯正にまで応用されてきました。
10年という時間はテクノロジーが発展するには、充分な時間だったのでしょう。
ついに入れ歯もCAMCAM=コンピューターで作れるようになってきました!
そうこのプラスチックを削る機械が販売されて、ついに入れ歯にもデジタル化の「渦」が発生しました。
大きな渦になるのか、小さな渦で終わるのか?
時間はかかるかもしれません。
しかし、祖母が入れ歯で悩んでいた日を思い出し、デジタルの入れ歯作りに取り組みたいと思うようになりました。
途中、「入れ歯よりもインプラントの方が噛めるんだよ。」秀明先生に言われ、長くインプラントの道を歩いてきました。
確かにそうだと思う側面もあります。
しかし、またデジタル義歯の登場をきっかけに一周回って、祖母との約束「痛くない・噛める入れ歯」の世界に戻って行こうと思うようになりました。
「技」の本から引用して、入れ歯作りの問題点をデジタル化する事で解決出来る可能性についてこのあとブログで書いていきたいと思います。
全ては、患者さんの笑顔の為に・・・
下田孝義